seafieldschool’s blog

ニュージーランドのオークランドにある語学学校Seafield School of English

地震と報道

 金曜日の夜の時点で海外に出張に行っているダイレクターから

直接「家族は無事か?」と電話が入った。

自分もニュースを見て実家に連絡した直後だったので「大丈夫だった」と答えた。

それから同じ部署の後輩からも連絡が来た「大丈夫ですか?」

そして日曜日には実は本人も先週手術したばかりで会社に来てなかったもう一人のダイレクターからも
「家族は大丈夫か?」と連絡が入った。

「何か助けが必要なら何でも言ってくれ」とも言われた。

そして明けて今日会社に行ったらやっぱり色々な人に「家族や友人は?」と聞かれた。


「皆大丈夫だった・・・」そう答えるとやっぱり

「ああ・・・良かった」と安堵の表情で今回の状況の話が始まる。


こないだクライストチャーチで地震があった時も「無事で良かった・・・」と
沢山の
言葉を日本からも多く頂いた。


とても、とてもありがたいし、本当に自分自身や自分の周りの人が無事だったことは嬉しいことなんだけど


「よかったね」とか「幸運だったね」とか言われるとなんだかどう答えていいか分からなくなる。

そう言ってくれる人たちに他意がないのは百も承知なんだけど
そっち(被災者)側にならなくて良かったねと言われてるようで・・・もちろんそれもあるのだろう。

実際の状況を新聞やウェブで知り多くの犠牲者がいることを知っているのに
「僕はラッキーでした」と声高で言っている人にもその真意を量りかねます。


じゃあ被災した人はアンラッキーなんて言葉で片付けられるのか?!


・・・ま、それならお前はラッキーじゃなくてそっち側に行きたいのか?と問われれば
もちろんNOだ。たぶん100%の人がそうだろう。


いかん・・・酒は一滴も飲んでないのに大分おかしくなってきた・・・。


無理やりまとめるならば被災した人たち、大切な人を失くされた人たち。
その人たちの本当の痛みまでは実際のところ本人達にしか分からない。

だけど分かろうとする気持ちは忘れてはいけないのでは?


想像することを忘れてはいけないのでは?


前回から下品な報道を見るとそんなことを思うのだった・・・。



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帰宅後POKEYを連れて海を散歩。

風も少しあって波は心なしか普段より強い感じ。
波を見て、海を見て、北の空を見ながらゆっくりと走る。

夕方時の砂浜には老夫婦がゆったりと腰掛けてたり
横になって本を読んでる女性もいた。

とても平和な夏の終わりの光景。

なんだか・・・・

よく分からないけど帰りは水際の砂浜を全速力で走った。
息切れするほど全速力で走った。


日本では色々な人が色々な戦いを続けている。
俺はまだまだこれからだ